日本でも「ゴッホ展」が開催されるほど人気がある作家であり、アート初心者の方の取っ掛かりになることも多いゴッホ。
今回はそのゴッホについてご紹介。ぜひ目次の気になるところをチェック
※ページ内の解釈は全て管理人個人の見解に基づいております。ご認識の上、記事をお楽しみいただけますと幸いです。
ゴッホの概要
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh , 1853-1890)は、オランダのポスト印象派の画家です。牧師の父を持つゴッホは、オランダのフロート・ズンデルトに生まれました。独特の画風は見る人を強く惹きつけます。代表作としては「星月夜」「ひまわり」「夜のカフェテラス」などがあります。
牧師の家に生まれ画家になったり、独特な画風に至ったのはどんな背景があったのか、紐解いていきたいと思います。
ゴッホが生まれた1800年代のオランダの歴史的背景
ゴッホが生まれた19世紀のオランダは、産業革命の進展と経済の変革が著しく、社会構造も変動していました。
新興階級や労働者階級の出現、社会的な不安定さは、後のゴッホの作品に影響を与えた可能性があります。
同時に、芸術と文化の分野では印象派やポスト印象派が隆盛し、画家たちは新しい表現方法を模索していました。
オランダは芸術家にとって創作の場となり、ゴッホもこれらの新しい潮流の中で自身の芸術的アイデンティティを形成していきました。
宗教や社会の変化、思想の新展開も時代の特徴であり、これらはゴッホの作品において宗教的テーマや独自の表現への志向として現れています。彼が生まれた時代は、変革と創造性が入り混じり、これがゴッホの芸術的な成熟に寄与したと言えるでしょう。
ゴッホの何が凄い? ゴッホの特徴
色彩の使い方と光の表現
ゴッホの色彩はまさに独特で、その鮮やかなまでの暖色系が観る者に強い印象を与えます。
特に《ひまわり》などを筆頭に黄色い色調が彼の作品に頻繁に登場し、
太陽の光を感じさせる効果をもたらしています。
これは、彼が感じた情熱や希望を視覚的な要素で表現しているものと言えます。
光の表現においては、ゴッホは独自の手法を駆使しました。
筆触りを厚くし、絵の具を重ねていくことで、光が画面を貫通しているような質感を生み出しました。
特に星空や夜景の描写において、彼の光の捉え方は驚くほど美しいです。
星々や月が輝く様子は、まるで宇宙の神秘を感じさせるものであり、
彼の光の使い方が作品に深みをもたらしています。
筆致と構図
ゴッホの筆致もまた独特であり、まるで絵が生きているような印象を与えます。
太い筆触りや筆の動きを直感的に感じさせ、そのエネルギーにあふれた表現は観る者を引き込みます。
色彩と組み合わさり、筆致は作品に深い感情と情熱を注ぎ込む手段となっています。
また構図においてもゴッホの独自性が輝いています。
対象を画面中央に配置することなく、端や隅に配置することで、視点の広がり・奥行きを感じさせます。
この時代においては斬新な構図で、革新的なアーティストとしての彼の視点を表しています。
また作品内に無駄なものがなく、すべてが画面においてバランスよく調和していることも、
彼の巧みな構図センスを示しています。
ゴッホの生涯
《誕生から画家になるまで》
少年時代のファン・ゴッホの特徴として記録には「扱いにくい子供だった」ということが残されています。
それでも牧師の家庭だったので、お金には困らない生活を送っていました。
中学中退後、グーピル商会のハーグ支店に勤め、英語・フランス語・ドイツ語を扱っていました。
しかし、画商という仕事そのものに疑問を持ち始め、勤務態度が悪化し解雇されてしまいます。
その後、なかなか定職に就くことができず、やがて「神の言葉を種まく人」になりたいと、
アムステルダム大学神学部を目指し勉強を始めました。
このような感情も後の作品に影響しているのかもしれません。
勉強をする中で並行して協会の教師に従事しており、そこで伝道師になりたいという思いが芽生えます。
勉強を放棄し、
「炭鉱事故のけが人を看病」したり、
「貧しい炭鉱の人に自らの衣服を与え、自身は藁の上で寝る」などしたり。
献身的な活動をしていましたが、行き過ぎた行動が散見され、
伝道師協会から正式に採用はしてもらえず、聖職者の道も断たれてしまったのです。
そこでゴッホは画家になる決心をしました。
《画家を志した最初期》
画家になる決心をしたゴッホは独学でデッサンを学びます。
当時、聖職者への道を断った教会に対して憎悪の念を抱いていましたが、
作品の中には小さな教会が描かれていることが多くありました。
それはまだゴッホが教会に対するやり場のない思いを引きずっているとも言えるのではないでしょうか。
同時期に娼婦のシーンとの関係が続いていました。
ゴッホの人生で唯一持った家族とも言えますが、
牧師の家庭のため、娼婦との関係は周囲から厳しい説得がありました。
結局ゴッホ自身も悩まされることが増えて別れることとなりました。
この時の感情はこれからの作品に影響を与えているのでしょうか・・。
「ジャガイモを食べる人たち」(1885年)32歳
作品名 | 製作年 | 所蔵先 |
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ジャガイモを食べる人たち | 1885年 | アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館 |
デビュー作ともいえるこちらの作品は構成画(タブロー)に初めて挑戦したものとされています。
ゴッホはこの絵を描き上げるまでに構成について周到に準備していました。
記録としてこの作品のデッサンやメモが残されています。
《父の死と弟テオとの同居》
その頃、ゴッホはまた恋愛に関するトラブルを起こしていました。
度重なる心労が祟ってか、父は脳卒中で亡くなってしまいました。
当時の作品を見てみると、キリスト文化との関係を見直すきっかけになったのではないかといわれています。
当時の作品からはゴッホの特徴となる光が消えて、うつうつとした雰囲気が漂っている。
そうした状況の中、画廊をしていた弟のテオから手紙が届きました。
内容はゴッホをパリへ誘うものでした。ここからゴッホの世界に光が溢れるのです。
「夜のカフェテラス」(1888年)35歳
作品名 | 製作年 | 所蔵先 |
---|---|---|
夜のカフェテラス | 1888年 | オッテルロー、クレラー・ミュラー美術館 |
題材には「夜」という言葉が使われているが、それを一切感じさせない色彩豊かな絵となっています。
青色の他に黄色や緑色がふんだんに使われており、ゴッホがどのようにこのカフェテラスを見ていたかが伺えます。
フランスに来てからは自然を描くことが多かったゴッホですが、
自然だけでなく街もまた美しい対象として描きたかったのではないでしょうか。
「ひまわり」(1889年)35歳
作品名 | 製作年 | 所蔵先 |
---|---|---|
ひまわり | 1888-89年 | – |
ゴッホの代名詞ともいえる「ひまわり」の絵。
7枚が製作されて、現存するのは6枚のみとなっています。
なぜひまわりがゴッホの代名詞ほどになっているかというと、
「ひまわり」が持つ象徴的意味に由来します。
ひまわりは太陽を向いて咲くことから、「信仰心」や「愛」の象徴とされてきました。
ゴッホがその意味を知らなかったわけはなく、
自身を絵に投影しようとしていたのでしょうか。
「星月夜」(1889年)36歳
作品名 | 製作年 | 所蔵先 |
---|---|---|
星月夜 | 1889年 | ニューヨーク、ニューヨーク近代美術館 |
ゴーギャンと同居し、耳切事件の後、ゴッホは精神病院に入院しました。
本作品はその入院時に描かれたとされています。
しかし、実はこの景色、その窓から見える景色とは違うようなのです。
この頃辺りからゴッホの作品に登場した「うねり」も含めて考えると、
ゴッホの精神の状態を表しているのではないかとされています。
ただ実際の景色ではない場合、もう1つ考えられる理由があります。
実はゴーギャンと同居時、ゴーギャンはゴッホに「想像で描くことも大事だ」と説いていました。
「星月夜」は月が煌々と光っていて、同じように星も光っています。
その星の近くにある波のようなうねりは風を表しているのでしょうか。
ゴッホは想像の世界の絵を描いているかのようです。
オーヴェールへの転居、そして自殺
1890年、37歳の時にパリ郊外のオーヴェールに転居しました。
そして7月、自らの腹に銃弾を放ち、37歳という若さでこの世を去りました。
弟のテオは大いに悲しみ、母に自責の手紙まで書きました。
ゴッホをさらに楽しむ
たくさん紹介させていただきましたが、まだ物足りないという方に向けておすすめの書籍を紹介させていただきます。
良ければ読んでみてください
もっと知りたいゴッホ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
出版社:東京美術
1,760円(税込)
ゴッホ作品集
出版社:東京美術
3,300円(税込)
ゴッホの作品が楽しめる美術館
世界中から愛されているモネの作品は世界中に貯蔵されています。
興味がある方はご旅行の際に各地の美術館にお立ち寄りいただけると楽しみが増えるかもしれません
オランダ:ファン・ゴッホ美術館
オランダ:クレラー・ミュラー美術館
ニューヨーク:ニューヨーク近代美術館
パリ:オルセー美術館
ロンドン:ナショナル・ギャラリー
日本で見る方法は・・・
実は日本でもゴッホの作品を見ることができます。
下記美術館(※北から順)でゴッホの作品をお楽しみください。」
東京:SOMPO美術館
広島:ひろしま美術館
ゴッホの小話
ゴッホは自ら耳を切った⁉
ゴッホの制作に刺激を与えるため、テオからゴーギャンへ同居の提案し、同居することとなったゴッホとゴーギャン。「ひまわり」や「夜のカフェテラス」など名作品が生まれました。
そんな中、ゴーギャンは「想像で絵を描くこと」の必要性をゴッホに説きました。
それが原因かどうか、はわかりませんが、ゴッホに精神病の発作が起き(※諸説あり)剃刀で自らの耳を切ってしまったのでした。
個性の強い2人の同居はそう長くは続きませんでした…。
まとめ
ここまでゴッホについて解説させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
引き続き皆様の為になる情報を発信していきますので、ブックマークやお気に入り登録いただけますと幸いです