ブログはこちら BLOG

【フランスの画家、クロード・モネ】時系列に沿って生涯と歴史、《睡蓮》や《積みわら》《印象・日の出》など作品をご紹介。何が凄い?

クロード・モネの生涯と歴史的背景-結論ブログ

日本でも「モネ展」が開催されるほど人気がある作家であり、アート初心者の方の取っ掛かりになることも多いモネ。

今回はそのモネについてご紹介。ぜひ目次の気になるところをチェックしてみてください。

※ページ内の解釈は全て管理人個人の見解に基づいております。ご認識の上、記事をお楽しみいただけますと幸いです。

目次

モネの概要

マネ《アトリエ船で描くモネ、アルジャントゥイユ》1874年
マネ《アトリエ船で描くモネ、アルジャントゥイユ》1874年

パブリックドメインQより引用

スカル=クロード・モネ(Oscar-Claude Monet , 1840-1926)は、フランスのパリ出身で印象派を代表する画家です。印象派を広めた先駆者であり、日本にも非常に多くのファンがいます。実はモネ自身、日本と縁が深く、実際に浮世絵から発想を得た作品(モネが晩年に描いた《日本の橋》という日本を舞台にした作品)があります。

モネの作品は、実際の風景が描かれていることが多いですが、主にセーヌ河流域のものが多いです。モネの辿った生活圏に思いを馳せながら作品を見ると、また違った面白さがあります。

1800年代の西洋の歴史的背景

ネの作風を理解するためには歴史的背景について知る必要があります。1860年代には、フランスの産業革命がほとんど終わり、近代化していました。市民階級の変化がのどかなモネの作風にも表れているように感じます。

また1867年にパリで行われたパリ万博の日本の初出展の影響により、ジャポニズムが流行し、モネも「浮世絵」などの影響を受けていたとされています。

モネの何が凄い? モネの特徴

印象派の先駆け

印象派の先駆けとなった《印象・日の出》というモネの作品。
当時は批評の対象とされていましたが、時代の移り変わりとともに徐々に評価されるようになっていきました。
パトロンの評価を狙うために試行錯誤された結果のひとつでもあり、モネの覚悟も伺えるのではないでしょうか。

⇒「印象・日の出」の詳細はこちら

光や水の表現

モネの作品でとりわけ目を引くのが、光や水の表現です。
その作品が書かれた年代によってもその特徴は様々で、変遷を楽しむこともできます。
どのようにして光や水が描かれているのかに注目して作品を見ることもおすすめです。

モネ「カササギ」(1868年)28歳_ぜよスタジオ
モネ「カササギ」(1868年)28歳

連作の確立

モネは、同じ主題や風景を繰り返し描く「連作」のスタイルを確立した人物でもあります。 代表作に「睡蓮の池」連作(1920年代)、「ルーアン大聖堂」連作(1892-1894年) )、「積みわら」連作(1890-1891年)などがあります。
一つの主題を何度も描き続けることで、モネは光の当たり具合や大気の微妙な変化を絶妙にとらえ、自然の移ろいゆく一瞬の美しさをキャンバスに描き留めようと決意に至りました。写実的な風景画ではなく、彼は光本質を主体として捉え、時間の経過とともに印象を見事に描き分けています。の画家として新たな地平を切り拓きました。

モネ「積みわら」(1891年)41歳_ぜよスタジオ 連作の確立について
モネ「積みわら」(1891年)41歳 連作の確立について
モネ「積みわら(夏の終わり)」(1891年)41歳_ぜよスタジオ 連作の確立について
モネ「積みわら(夏の終わり)」(1891年)41歳 連作の確立について

モネの生涯

《誕生から美術家になるまで》

1840年にフランスのパリでモネは生まれました。そして4~5歳にル・アーブルに移り住みました。モネは学生時代、勉強があまり得意ではなかったことが記録からわかっています。学生時代からカリカチュア(ユーモアに描く似顔絵のようなもの)が得意で販売し、実際に売り上げをしっかり立てていました。

それが画家であるウジェーヌ・ブーダンの目に留まり、風景画を学び始めることになりました。より本格的に風景画を学ぶため、1859年に本場パリへと向かいました。

「草上の昼食」 (1865)22歳

クロード・モネ《草上の昼食》1865年_結論BLOG
クロード・モネ《草上の昼食》1865年
パブリックドメインQより引用
作品名製作年所蔵先
草上の昼食1865年モスクワ、プーシキン美術館

パリでは画家の登竜門として「サロン」というものがありました。
モネもサロンでの入選を狙っており、1865年に初入選を果たしたのがこの《草上の昼食》という作品でした。

戸外の制作にこだわって作られたとされています。マネの《草上の昼食》に影響を受けているのではないかという説もあります。

「印象・日の出」(1872)32歳

モネ「印象・日の出」(1872)32歳
モネ「印象・日の出」(1872)32歳
作品名製作年所蔵先
印象・日の出1872年パリ、マルモッタン美術館

サロン初当選後、サロンへの挑戦を続けていたが、なかなか入選とはなりませんでした。
それはモネに限った話ではなく、モネの仲間のルノワール、バジール、ピサロ、セザンヌが軒並み落選しました。

そういった審査の不満も受けて新たに1874年に「第1回印象派展」が開催され、そこでこの《印象・日の出》が出品されました。
これまでの鮮明な描写という常識を覆した作品ということを考えると、非常に感慨深いです。

《アルジャントゥイユでの生活》

モネはマネが紹介したアルジャントゥイユの家に移住しました。アルジャントゥイユの自然豊かな風景と、妻カミーユ・長男ジャンが描かれた作品が多く残っていることから、自然と家族を大切にしていたことがわかります。

「散歩、日傘をさす女性」(1875)35歳

モネ《散歩、日傘をさす女性》1875年_結論BLOG
モネ《散歩、日傘をさす女性》1875年
パブリックドメインQより引用
作品名製作年所蔵先
散歩、日傘をさす女性1875年ワシントン、ナショナル・ギャラリー

妻カミーユと長男ジャンが描かれた作品です。
ゴッホ独特な光の表現や色彩の使い方が感じられたり、細部は点描のようなこだわりまで楽しめる素敵な作品です。
全体的には自然豊かな風景で、アルジャントゥイユでの豊かな生活を想起させます。

この日傘をさす女性の作品はこの後に2作品ありますが、
カミーユが病死する前に描かれた作品はこちらのみで、そういった部分にまで思いを馳せると、
また作品の見方が変わるような気がします。

妻カミーユが亡くなった後の作品

モネ「散歩、日傘をさす女性(左向き)」(1886)46歳_結論BLOG
モネ「散歩、日傘をさす女性(左向き)」(1886)46歳
パブリックドメインQより引用
モネ「散歩、日傘をさす女性(右向き)」(1886)46歳_結論BLOG
モネ「散歩、日傘をさす女性(右向き)」(1886)46歳
パブリックドメインQより引用

それぞれ顔が鮮明に描かれていないのは、亡くなってしまった妻を描こうとしているからなのでしょうか・・。

《シヴェルニーへの移住と連作の始まり》

1883 年よりセーヌ川流域のフランスのジヴェルニーに住み始めたモネは、1880 年代後半から自宅付近の〈積みわら〉を「連作」として描き始めました。これが連作の始まりとされています。

「積みわら」(1890~1891)40~41歳

モネ「積みわら(夏の終わり)」(1891年)41歳_ぜよスタジオ 連作の確立について
モネ「積みわら(夏の終わり)」(1891年)41歳 連作の確立について
モネ「積みわら」(1891年)41歳_ぜよスタジオ 連作の確立について
モネ「積みわら」(1891年)41歳 連作の確立について
作品名製作年所蔵先
積みわら1890~1891年スコットランド、ナショナル・ギャラリー

「積みわら」はモネの連作で最も有名は、彼の芸術の成熟期を象徴する至高の作品群です。実は35作品もある超大作であり、同じ干し草の山を、朝夕の光の変化に合わせて何度も描き続けたこの連作には、モネ独自の自然観と光の扱いが決められています。

瞬間の印象を印象派の手法を極め、対象への畏敬の念が溢れる作品群です。大自然の息吹と芸術家の眼力が見事に融合した、印象派を代表する連作の極みと言えるでしょう。

「睡蓮」(1899~1926)59歳~86歳

モネ「睡蓮」(1899~1926)59歳~86歳_結論BLOG
モネ「睡蓮」(1899~1926)59歳~86歳
パブリックドメインQより引用
作品名製作年所蔵先
睡蓮1916年東京、国立西洋美術館

モネの代名詞ともいえる「睡蓮」の作品。
この絵は一部ですが、連作として数々の睡蓮の作品を残しています。「睡蓮」と一口に言っても、その時々の水や光のタッチは大きく変わります。

連作でもある「睡蓮」の作品は、光の表現に注目してみることをお勧めします。
細かい柔らかさなどの表現はモネの技術がなせる業だといえます。

《晩年》

妻の死と長男の死により、作品の制作は一時止まっていました。
制作活動を再開し、描き始めたのは「睡蓮」の作品でした。
オランジュリー美術館に装飾された高さ2メートル幅12メートルを超える作品は大きさも去ることながら、
それぞれ時間軸が違う作品に囲まれると、モネの技術、時と自然の営みを感じられます。

モネをさらに楽しむ

たくさん紹介させていただきましたが、まだ物足りないという方に向けておすすめの書籍を紹介させていただきます。
良ければ読んでみてください

モネ作品集
出版社:東京美術
3,300円(税込)

もっと知りたいモネ 改訂版 (アート・ビギナーズ・コレクション)
出版社:東京美術
2,200円(税込)

モネの作品が楽しめる美術館

世界中から愛されているモネの作品は世界中に貯蔵されています。
興味がある方はご旅行の際に各地の美術館にお立ち寄りいただけると楽しみが増えるかもしれません

  • エッセン:フォルクヴァング美術館
  • サンクトペテルブルグ:エルミタージュ美術館
  • ニューヨーク:メトロポリタン美術館
  • パリ:オランジュリー美術館
  • パリ:オルセー美術館
  • パリ:マルモッタン美術館
  • ボストン:ボストン美術館
  • モスクワ:プーシキン美術館
  • ロンドン:ナショナル・ギャラリー
  • ワシントン:ナショナル・ギャラリー

日本で見る方法は・・・

実は日本でモネの作品を見ることができます。
下記美術館(※北から順)でモネの作品をお楽しみください。

群馬:群馬県立近代美術館
東京:国立西洋美術館
東京:アーティゾン美術館
神奈川:ポーラ美術館
千葉:DIC川村記念美術館
京都:アサヒビール大山崎山荘美術館
岡山:大原美術館
広島:ひろしま美術館
香川:地中美術館
鹿児島:鹿児島市立美術館


また「モネ展」が定期的にどこかの美術館で開かれています。
お住まいに近い美術館でぜひ探してみてください。

モネの小話

驚愕の事実!?天才画家モネが生前に十分評価されていなかった!?
クロード・モネは印象派を代表する天才画家として今日高く評価されていますが、実は生前はほとんど無名でした。モネの代表作「印象、日の出(1872年)」が批評家から「印象主義者(インプレッショニスト)」と冷やかされたことから、この新しい画風に「印象派」という呼び名が生まれました。は当時の存続ある美術アカデミーからは全く評価されず、モネの作品は売れ残り続けました。
評価されない環境でも、モネは自らの芸術的信念を曲げることなく、自然の移ろいゆく光の印象を描き続けました。初代没後50年も経ってからのことでした。
つまり、モネは生前は「異端の画家」と見なされ、その卓越した才能が全く理解されていなかったのです。 天才も、時代に先んじすぎれば理解されにくいのが世の常なのかもしれません。

まとめ

ここまでモネについて解説させていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
引き続き皆様の為になる情報を発信していきますので、ブックマークやお気に入り登録いただけますと幸いです

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

執筆者

関西を中心に活動しているカメラマンです!
普段はWebマーケティング会社で働きながら、趣味でも仕事でもカメラを楽しんでいます📸✨

お笑いとカメラが大好きで、関西の色々な場所で撮影をしています。もし関西で撮影のご依頼があれば、ぜひお気軽にお声がけください! Instagramに作例をたくさん載せていますので、よかったらチェックしてみてくださいね😊

どうぞよろしくお願いいたします!

目次